★ ラストニア王国王女奪還計画!? ★
<オープニング>

 

 私達の護るべきものたちは
 それは、遥か昔からの誓い――

 
 
 
 やわらかい日差しが部屋の中を流れる中、ホーディス・ラストニアはお気に入りの椅子に座って読書に励んでいた。
 ホーディスは、「ラストニア王国記」から実体化されたムービースターである。映画の中での彼らの家(というか城というか神殿)には、貴重な書物や資料などが保存されていて、映画の中では、それらの書物を求めての激しい戦いが繰り広げられていたものだ。それが今回、実体化するにあたって、一種のムービーハザード的な形で彼の建物も一緒に実体化されてしまったようで、その膨大な書物を侵略にあうこともない銀幕市で、ホーディスは一般に開放している。普通の図書館などにはない書物が人気で、訪れる人もそこそこ多い。
 その書庫の入り口に拵えられたカウンターの椅子で、訪問者の相手をしつつ、書物を読むのが今の彼の日課であり、何よりも至福の時でもあった。
 ふと、ホーディスは顔を上げ、書庫にしつらえられた窓――光を取り入れつつも、決して書物を傷める光を取り入れることはない――を見つつ、至福のため息を漏らした。
「何て、銀幕市は平和なのだろう……」
 無論、他の都市に比べれば、銀幕市は平和でも何でもないのだが、少なくとも映画の中では戦乱続きであった彼にとっては、この午後に書物を何の心配もせず読める時間が訪れる事は、まるで奇跡のような出来事で――もちろん実体化した事が一番の奇跡なのだが――、この奇跡の出来事を日々感謝しながら過ごしていた。
 この後、ホーディスの片割れがもたらす災難を知る由もなく――。






「ホーディス様!」
 ホーディスが読書に没頭して、本のしおりを昨日あった所から大分進めた所に、彼の家に仕えている(今は書庫の仕事を手伝ってもらっている)一人の男性が、息を切らせながら飛び込んできた。
 その瞬間に、ホーディスが嫌な予感を抱えた、という事は言うまでもない。ありがたくないことに、その光景が、最近の彼にとっては日常茶飯事と化しているからだ。
「どうしました?」
 ホーディスは読んでいた本を静かに閉じた。
「大変です! リーシェ様が正気を失って、いつもお連れになっている竜と共に市内で暴れ回っています!」
「何だって?」
 ホーディスは、本をカウンターの上に荒々しく置いて、勢いよく立ち上がった。
 リーシェとは、ホーディスの双子の妹だ。顔は双子なだけあってかなり似ているが、彼女は思慮深くてもの静かなホーディスの性格とは正反対の性格を持ち、実体化してからは、いつも銀幕市内を走り回っている。今日も、対策課からの依頼か何かで家を飛び出していった筈だが、まさかこんな事件が起こっていようとは。
 リーシェの暴れ回るとは、そんじょそこらの女性が暴れ回るというレベルのお話ではない。彼女は、スクリーンの中では女でありながら王国の軍団を率いて敵国と戦い、「戦女神」と敬われた存在なのだ。まあ、彼女が「戦女神」になるのには、込み入った事情があるのだが、何はともあれ、それくらいの強さを持つ彼女が暴れたらこの市内に甚大な被害をもたらしてしまう。


 
 修理費が! 弁償代が! 損害賠償請求がぁっっっ!



 銀幕市に実体化してからやや貧乏になったあげく、リーシェがやたら公共の物を破壊しまくるので、悲しいかなホーディスの頭では反射的にそろばん勘定が始まっていたが、とにかく彼女を止めなくてはいけないので、従者と共に家の外へと走り出た。
 その瞬間、何かの建物を破壊する凄まじい音が響き渡る。
「あっちか!」
 ホーディスは音の方向へと走り出した。
 頭の中に弁償代が増えていく悲痛な叫びを抱えつつ。






「あ――」
 目的の場所に着いたホーディスは、思わずため息を漏らした。リーシェは少し開けたような場所で、小さい頃から彼女に懐き、また彼女も可愛がっている青い竜となぜか同士討ちを始めていた。
 幸い、周囲にいた人に被害が及ぶことはなかったらしく、皆、遠巻きにその状況を見守っている。
 既にその場のアスファルトはあちこちが粉々に破壊され、ベンチは叩きつぶされ、電灯はへし折られている。
「あぁぁぁぁ、何で公共の物をこんなにぃぃぃ!」
 ついに脳内に留めていることが出来なくなったホーディスの叫びが辺りを満たす。
 それを一緒に付いて来た従者は非常に憐れみたっぷりの同情の視線を送っていたが、それにホーディスが気付くことはなかった。
 それにしても、何でこんな事に。
 戦闘時以外は体を小さくしてリーシェの肩にひっついて行動している、少し甘えん坊のあの竜が、今は体を3階建ての家と同じくらいの大きさまで巨大化させ、リーシェと睨み合っている。リーシェも、いつも装備している剣を構え、何度も竜に攻撃を加えようとしている。
 こんな事は、普段一緒に生活しているホーディスからは、想像さえも付かない光景である。
「あの……」
「あ、あなたは……、いつもリーシェがお世話になっている……」
「はい、あの、リーシェさんは……」
 実体化してから、リーシェと仲良くして貰っている彼女の友人が、頭を抱えているホーディスに声を掛けてきた。
 彼女は、つと一つのストローが刺された紙コップを差し出してきた。
「さっきまで、私と一緒にこれを飲んでいたんですけど、私は何ともなかったのですが、肩に小さくなっていた竜さんと、リーシェさんはこれを飲んだ途端に、あのように同士討ちを始めてしまって」
「……という事は、幻覚剤か毒薬の何か、なんですかね?」
 そうホーディスが頭をひねった途端、すっと自分と似た殺気の気配を感じた。反射的に彼女を抱えて、一つ、後ろに宙返りをする。もちろん、彼にそれほどの身体能力があるわけではなく、彼と契約を交わしている「精霊」の能力を借りたのだ。風の能力。
 後ろに宙返りをして着地した一瞬後に、その場所に地面を叩き壊す大音響と共に、砂埃が上がった。ホーディスは、スッと目を細めた。
「……水よ……」
 ホーディスが小さく呟くと同時に、彼の鎖骨辺りに刻まれている刺青の一部が赤く光り、周りを薄い透明な水の膜が覆う。
「今のは……」
 彼女は呆然としている。
「マジックですよ。さ、それよりもあなたは避難して下さい」
「で、でも……」
 彼女は不安そうだ。ホーディスは片目をつぶって見せる。
「じゃあ、ひとつお願いしてもよろしいですか?」
「お願い、ですか?」
 ホーディスは淡く微笑んで一つ頷いた。先程の話が本当なら、幻覚剤のような毒物をあのひとりと一頭は飲んでしまっている。
 だから、解毒法と、同時に解毒法が見つかるまで、彼女達を止める人が必要だった。少なくとも、彼一人ではどうにもならない。
「ええ。どなたか、腕に自信がある方と頭を使うのが得意な方に手助けをお願いしたいんです。至急、対策課にお願いしてもらえませんか?」
「は、はいっ!」
 彼女は強く頷くと走り出して行った。それを横目で確認して、再び前を見据える。
 彼は彼女よりも実戦には向いていない。風・火・水・土の精霊と光と闇の神の能力を使うことが出来る「契約」を交わしていても、それが十二分に発揮できるのは、ロケーションエリアを発動した時間の間のみ。むしろそれを考えると、ここは誰かに任せて、自分は家の書庫に解毒法を探しに行った法が効率的には良いはずである。
 砂埃が一瞬で強い風に晴れていく。
 目の前には、爛々と目を戦闘に光らせ、剣を無駄のない動きで構える妹の姿。
「戦女神」としての彼女の凛々しさに、ホーディスはふと、微笑した。
 それは確実に、参謀としての隙一つない、彼のもうひとつの表情。

「ねえ、リーシェ……。あなたは力で、私は頭脳、ですからね」


 私達が戦うことなんて、出来る訳がない。
 私達は、二人で一人。


 誰か、力を。

種別名シナリオ 管理番号140
クリエイター志芽 凛(wzab7994)
クリエイターコメントこんにちは、そしてはじめまして。

今回の事件についての依頼は、何らかの怪しげな薬を飲まされてしまった王女を正気に戻して頂くというものです。
頭脳に自信がおありの方は、解毒の方法を探し出し、腕に自信がおありの方は、解毒の方法が見つかるまで王女と竜を止めて頂きたいと思います。プレイングをお考えの際は、どちらに付きたいかをお書き添え頂くと幸いです。

ちなみに、解毒の方法は、もしかしたら彼らの家の書庫にあるかもしれません……。もちろん、どんな方法でも構いません。
王女達を止めていただく方は、バトルになるかと思います。彼女達は結構な強さを持っているので、楽しめるかと思いますが……、くれぐれも命はお大事に……。

それでは、よろしくお願い致します。

参加者
バロア・リィム(cbep6513) ムービースター 男 16歳 闇魔導師
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
ファーマ・シスト(cerh7789) ムービースター 女 16歳 魔法薬師
ティモネ(chzv2725) ムービーファン 女 20歳 薬局の店長
<ノベル>

 リーシェは、眼前でいつも愛用している細身の長剣を無駄な動きひとつなく構えると、そのまま微動だにしなくなった。
 ホーディスもその場に佇んだまま、動くことはない。
 同じ色を放つ眼光が、お互いを結んでいる。
 二人の場の音が一瞬、消え去り、辺りは静寂に包まれた。
 リーシェの髪が一筋、そよ風にそよいだ。
 ホーディスの近くにあった大きな広葉樹の葉が、そよ風に一枚、さらわれて行く。その葉は、風に遊ばれ空を舞い、二人の丁度眼光を結んでいる線上に舞い降りようとしていた。
 
 ひらり、ひらり。

 一瞬二人の見つめ合う視線が、途切れた。その瞬間にリーシェが剣を右肩上に振り上げる。
 葉は静かに舞い降りて行く。 
 そして、再び二人の視線がぶつかった。
「!」
 視線が途切れ、剣を振り上げた一瞬の間にリーシェは、間を詰めてきていた。
 ホーディスの眼前に、リーシェの顔が間近に映った。
 反射的に彼は、風の能力を使い、リーシェの頭を飛び越える。
 同時に、剣が風を切り裂く音が耳に届いた。
 彼はそのまま、リーシェの後方約十メートルにひとつ宙返りをして、軽い音と共に地に着地。
 次の瞬間、ホーディスの後方にあったガードレールが破壊される衝撃音が辺りを満たした。
 リーシェは、音も立てずに振り向いた。二人は再び向き合う。
 これは、ロケーションエリアを発動しないとまずいかもしれない。ホーディスは頭の片隅で冷静に計算をする。
 再びリーシェが剣を振り上げた時、ホーディスはふと、異なる気配を察知した。
「……」
 彼が気配に気付いて、一メートルほど後方に身を引くと同時に、辺りに響く、剣と何か、硬い金属質のものがぶつかり合う鋭利な音。
「大丈夫ですか?」
 ホーディスとリーシェの間に、その辺りにあった壊されたパイプの破片を手に、割って入った青年がひとり。彼は横目でホーディスを見ながら、淡く、微笑んだ。
 その青年は万事屋、梛織であった。
 
 



 梛織はたまたま、リーシェ達の近くを通り掛かっていて、最初は竜との突然始まった戦闘を止めた方が良いのか分からず彼らを傍観していたのだが、彼女と瓜二つのホーディスが現れ、彼が襲われたのを見て、これは間に入ったほうが良いのだろうと思ったのだ。
「とりあえず、何が起こったか何となく聞こえていたので、ここは俺に任せて下さいっ!」
 梛織はそう言葉を吐き出すと同時に、リーシェを弾き飛ばすようにパイプを振り上げた。再び金属音がして、リーシェが後方に飛び退る。そのまま音もなく着地。
 二人の間に、砂埃と共に風が吹き抜けていった。
 二人は出方を伺うように、お互いの武器を構えていつでも応戦できるようにしながら、その場で身じろぎもせず、立ち止まっている。

「まあまあ、一体何をお飲みになられたのでしょうかしら?」
 
 ピンと糸が張り詰めたような空気が漂う中に、あっけからんとした、いかにも空気を読めていない場違いな女性の声が響いた。先程ホーディスが頼んだリーシェの友人の後ろに、金の瞳を輝かせたファーマ・シストが付いてきていたのだ。
 どうやら幻覚剤と聞いて大変興味を持ち、手助けを申し出たようである。
「とりあえず、これは採っておきますわね」
 そう言いながら、ファーマは小さな蓋付きの容器に、リーシェが飲み残した飲み物の残りを入れ、蓋をした。
 非常に楽しそうで、その顔の表情は、どこかに遠足に行く子供のようである。
「……そんな実験じゃないんだから……」
 横目でファーマの場違いな楽しそうな様子を見ながら梛織はぼそりと呟いたが、気を取り直して、解毒方法、見つけてきて下さい、とホーディスに言った。
「それまでに、このお姫さんを何とかしておきますよ」
「本っ当に迷惑かけてごめんなさいぃ……!」
 梛織の苦笑に、ホーディスは非常に申し訳ないという表情を体全体で浮かべた。このような切羽詰った状況でなければ、その場で土下座しそうな勢いである。
「それじゃあ、ファーマさんは私と一緒にとりあえず私の家に……」
 ホーディスがそう言いかけた時、彼らの頭上に大きな影が差した。
 そう、丁度リーシェがホーディスと、今は梛織と向き合っていたので、リーシェと、彼女の竜に挟まれる形になっていたのだ。
「やはり、ロケーションエリアを発動するしかないか……?」
 咄嗟にファーマを後ろにかばい、ホーディスは竜と向き合いながらひとつ、呟いた。
 竜の眼が、彼の眼を捉える。
 その時だった。

「何だか大きな物音がすると思ったら……、色々と破壊されていますねえ……」

 その呟きと共に、ホーディスの前に、結んだ黒髪を揺らし、白衣を身に付けた女性が現れた。
 メディカルショップの店長、ティモネである。どうやら、お店から物音を聞きつけて現れたようである。案外彼女のお店は近くにあるのかもしれない。
「何をどうしたら良いのかは分からないのですが、とりあえず、私はこの竜を何とかしておいた方が良いみたいですね」
 そう言うと同時に、白衣を脱ぎ、どこからともなく漆黒の大鎌を取り出して、竜と向き合い、鎌をスッと構えた。
 それを見てか、竜が鋭利な爪がついた前足を大きく上げ、小さな咆哮と共に、その前足をティモネに向かって繰り出してきた。
 爪の部分と、鎌の刃の部分とがぶつかりあう。
 凄まじい衝撃音が響いた。そのまま、ひとりと一頭は動きを止めた。
「さ、私達で暴れん坊なお姫様達を止めてますから、さ、早く行って下さい」
「なるべく早く解毒法、見つけてきますね。よろしくお願いします」
「私達に、お任せくださいませ」
 二人はそう言い、その場を走り去った。
 ティモネはそのまま鎌を右に回し、前足を横になぎ払う。そのまま、少し後ろに飛び退った。
 リーシェの攻撃を避ける為に後ろにさがった、梛織との距離が近付き、二人は背中合わせになる。
「また、騒動に巻き込まれてしまったな……」
「そうですね……」
 二人は、そう言いながらため息をひとつ、ついた。何だか最近はこんな事ばかりである。
 ――でも、悪くない――。
 二人の口元にひとつ、微笑が浮かぶ。
「さて、これから一仕事かな?」
「ええ」
 そう会話をかわした途端、二人を纏う空気が一瞬にして変化した。
 それはどこか冷たさを持つ、戦闘特有の殺気とも言うべき空気。
 梛織の表情が厳しさを増す。
 ティモネの笑みが深くなる。
 
 二人は、そのまま同時に地を蹴った。
 
 



 ****





「そういえば、どこに行くつもりなんですの?」
 ファーマは、ホーディスの後に付いて走りながら、尋ねた。どこかに行くと彼は言っていたが、未知の薬への期待と、竜が出現して彼の言葉が途切れたせいで、すっかり頭から抜けてしまっていたのだった。
「あ、そうですね。えっと、とりあえず私の家に向かっているんです」
「ホーディスさま、のお宅ですか?」
「ええ。私の家には書庫があって、特殊な資料なども色々あるので、私はそちらかも解毒の方法を探してみようかなと思いまして」
 それに、あの場所は危ないですからね、ホーディスはそう付け加えて、歩みを止めた。ファーマもつられて、歩みを止める。
「ここが、私の家です。書庫はこちらからです」
 そう言われてファーマは目の前の家を見上げた。ホーディスがここだといった場所は、ごく普通の住宅街の中に紛れていた。何だか彼らの家は、普通の銀幕市の家とは違って見える。
「何だか……、神殿のような、教会のような……、そんな感じのお家ですわね」
「まあ、そうとも言えますね。それは、いつか機会があったらお話しますよ」
 ホーディスは少し苦笑し、書庫へとつながるらしい扉を開けた。黒い、重厚な金属製の扉である。細部に飾り彫りなどがされていて、いかにも西洋にある、ゴシック形式の教会のようだ。
 入り口のホールのような所を抜け、もう一つ扉を開けると、目の前に本の壁が飛び込んできた。 書庫と言われた場所は、広めの円形の部屋になっていて、壁一面が全て本で埋まっていた。中二階建てのようで、中央が吹き抜けとなっている。二階の手すりの向こう側の壁も本で一杯だ。   
 所々に縦長の窓があって、そこから差し込む光はとても柔らかく、神々しさを放っている。部屋全体が落ち着いた茶色で統一されていて、とても過ごしやすそうな環境であった。

「そんなに焦って、何かあったの?」

 入り口付近に、一人の少年がぽつんと立っていた。ネコ耳のフード付きの紫のローブを付け、手にやたら分厚い書物を抱えている、バロア・リィムである。
 バロアは二人の息せき切った様子を見て、不思議そうに尋ねてきた。どうやら外の大きな音などには全く気がついていない様子である。この場所で書物に没頭していたのであろう。
「ちょっと、私の妹が暴れだしましてね……」
 ホーディスは、事の顛末をかいつまんでバロアに説明していた。その間に、ファーマは、ホールの端にある机と椅子を陣取り、鞄の中から、調合器具や怪しげな材料の数々を取り出した。
 とりあえず、本探しはホーディスにやってもらうとして、ファーマは、あの飲み物の成分を分析しようという魂胆だ。
 横では、まだ二人の会話は続いている。

「それで、ここに戻ってきたと」
 バロアは、本を横に置き、しばらく腕組みをして考え事をしている風情だった。
(……また嫌な予感が……)
 ホーディスの頭にふと、先程感じた違和感がちらりと戻ってきた。
「ほっとくのも何だしなー、しょうがないから、僕も手伝おうか?」
 バロアはやや面倒そうに、フードの耳に手をやる。
「本当ですか?」
 ホーディスは、先程の違和感が当たらなかった事に内心で驚きを覚えつつ、それはとても助かります、と言った。
 なんせこれから行く場所には、沢山の本がある上、色々な意味でいわくつきの場所なのである。
 けれども。
「その代わり、この書庫に好きなだけ寝泊りしていってもいい? もちろん、タダで」
「……あー……」
 バロアの極上の笑みに、ホーディスは再び頭を抱えたくなる衝動に襲われていた。
(電気代っ! 水道代っ! その他諸々の諸経費っ!)
 ちなみに、ホーディスの頭の中の思考は二人にもだだ漏れである。
(王子だったくせにやたらケチですわ……)
 ファーマは、成分を分析する為のいくつかの試薬を取り出しながら彼らの会話を聞いて、そんな事を思った。
(何で一番にこういう考えが浮かぶのかなー)
 バロアも内心で呆れている。しかし笑みを引っ込めることはない。
 こんな美味しい話を逃す手はない。この書庫には、精霊についての本やら、魔法についての本やら、ここにあるものだけでも非常に珍しく、貴重な本ばかり揃っているのだ。寝泊りできる権利を得たのなら、いっそう研究がはかどる事間違いなしである。
「もちろん、駄目なんて言わないよね? 手伝うんだもんね?」
 そういうわけで、さらに追い討ちを掛けてみたりする。ホーディスの表情が、一国の王子にあるまじき、実に情けない表情になっていった。
 ホーディスはどうやら、人手が増える事と、バロアの寝泊りについての諸々の経費について、脳内で戦いを繰り広げていたらしいが、しばらくすると、決心が付いたからか、よし、と顔を再びバロアの方に向けた。
「分かりました。好きなだけ寝泊りしていいですから、私と一緒に探すのを手伝ってください」
「よし、決まりだね」
 バロアは再び極上の笑みを浮かべた。ホーディスはそのままファーマに声を掛ける。
「それでは、私達はちょっとこの書庫の地下に行ってくるので、ファーマさんはここで作業を続けていてください」
「わかりましたわ」
 そう言って、二人は奥の扉を開け、地下へと降りていった。
 ファーマは、一つの試験薬の上に、ポツンと先程の飲み物を落とす。
 試験薬の色が鮮やかな赤に変わっていった。
「あら、珍しい反応ですわね……」
 ファーマは珍しい反応に少し驚き、そしてさらに分析にのめり込んでいった。
 どうやら彼女にとって、大変興味深い対象の薬のようである。





「地下なんてあるんだ」
「ええ。普通の図書館にも閉架書庫なんてあるでしょう? ここには、より危険度の高い書物や貴重な書物が保管されているんです」
 奥の扉の先には、薄暗い階段室があった。どうやらホールの真下に、大きく螺旋を描いているようである。地下へと続いているらしく、じめじめと湿った空気が肌にまとわりつく。
 ホーディスが掌をかざすと、途端にそこに小さな光が宿った。その光を頼りに、二人は下へと降りていく。
「キミも、魔導を使えるんだね」
 自身が闇魔導師であるバロアは、ホーディスが目の前で起こした魔導に、興味を持って言った。
「魔導と言いますか、私の場合は、精霊や神達に力をお借りする、という感じですね。まあ、家柄ですから」
「ふうん――。……今度時間がある時にでも、魔導について語り合ってみたいなあ」
「それはいいですね」
 ホーディスは振り返って微笑した。
「何せ、私の家にはそういう事を語れる人はいませんからね。いつでも大歓迎ですよ」


 そんな事を語りながら螺旋階段をかなり降りていくと、やがて、一つの扉に突き当たった。
「そうでした」
 扉を開けようとして、何かを思い出したらしいホーディスは、扉に手を掛けたまま、バロアの方を振り返った。
「何?」
 バロアは首を傾げる。
「ここから先は、危険地帯なので、十分注意してくださいね?」
 ホーディスはにっこりと微笑む。
 彼の言葉に、バロアはさらに訳が分からず、首を再び傾げた。
 どうして書庫に行くことが、そんなに危険を伴うのだろう?
 バロアの疑問をよそに、ホーディスは扉に左手を当てた。途端にそこに六亡星の魔方陣が赤紫に浮かび上がった。
 そして彼が何か呟くと、その魔方陣は黄色に、青に変わり、一瞬で消え去る。
 扉が、錆びた蝶番の音を軋ませながら、静かに音を立てて開いた。
「ここが、地下の書庫です」
 ホーディスは、一言そう言うと、中へと足を踏み入れる。バロアもその後に続いた。
 地下の書庫は、始めは暗い、闇そのものであった。バロア達が足を一歩踏み入れると、壁にくくりつけられている全ての松明に灯が点り、やや明るさを取り戻す。
 闇魔導師であるバロアは、この部屋にあるさまざまな魔導の気配を感じ取っていた。上の部屋とは違い、所狭しと本棚が並べられたこの部屋の通路を、やや警戒しながら進んでいく。
 と、かちり、とバロアの足元で何かを踏んだような音がした。
「危ないっ!」
 その次の瞬間、バロアはホーディスに強い勢いで手を引っ張られ、地に伏せさせられた。その上を何かが通り過ぎる音がし、近くを魔導の気配が音と一緒に過ぎて行った。
 バロアがその気配を疑問に感じ、顔を上げて、通り過ぎていった方向を見ると、そこには氷で出来た小さなナイフのような物が飛んで行くのが見える。
(ナイフ――?)
「だから気を付けて下さいと言ったでしょう」
「……今のは、何?」
「この部屋には、書物を奪われないように、魔導で沢山の罠がしかけてあるんですよ」
 寝泊り許可を出すくらいの覚悟はして下さいよ? ホーディスはそう続け、またにっこりと微笑んだ。
 ホーディスも中々の策士である。
「それを早く言ってよ!」
 バロアは思わず叫んだ。




 *****




 いつもは沢山の人で賑わうその空間が、今は不気味な静けさを放つ、非日常空間となっていた。
 梛織とリーシェの距離が、剣とパイプとをぶつけ合う音と共に、一瞬で縮まる。
 互いの視線が交錯し、二人は同時に後退。再び二人の間に、距離が出来た。梛織の表情は厳しいままである。
 
 職業柄、こういった戦闘は日常茶飯事な筈の彼の表情が険しいのには、理由があった。
 リーシェは「戦女神」と言われるほどの軍人であったとしても、女性である。
 梛織は、どうしても女子供には手を出せない性分なのだ。おまけにリーシェがうっかり、無駄に美人であったりするので、尚更である。
 つまり、どうしても自分から攻撃しようとすると、隙ができる。そこをリーシェに攻められてしまうのだ。
 そんな訳で、梛織はひたすら防戦一方に回っていた。
 
 
 たんっ、とリーシェが軽く地を蹴った。足音は軽いが、そこには凄まじい瞬発力が隠されている。
 たった一瞬、梛織がまばたきをした後には、彼の目と鼻の先に、リーシェの顔があった。
「っ!」
 リーシェがふ、と微笑んだ瞬間、二人の間を金属音が割って入る。

 ――キィィン――!

 梛織が防御の為に突き出したパイプと、リーシェの細身の白銀の剣が二人の丁度首の位置で交差した。彼女がまだ地に足を着いていないので、剣の重さと加えて、彼女の全体重がそのパイプにかかる。
「……く……」
 梛織が重さに耐える為に出した声と、パイプが僅かにみしり、と亀裂を奔らせる音が、重なった。
 そして、リーシェは音もなく、地に足を着く。梛織の腕にかかっていた圧力が、半減した。
 そこを逃さず、梛織はパイプを左に思い切り振りぬいた。剣が弾き飛ばされ、同時にリーシェが右に飛んだ。その場にふわりと着地する。
(くそ、やりにくい……)
 梛織は内心で憎々しげに呟いた。いつもは武器を使わずに戦っているのだが、さすがに剣を持つ彼女とやり合うのに丸腰では不味かろうと、パイプなんて持ち出したのが不味かったのか。
 足技を使いたいのに、リーシェが女性だから、一瞬躊躇っている内に攻められる。
 おまけに、こちらの方が力が強いから、普通に剣を弾き飛ばす事は簡単に出来るのだが、向こうの方がどうしたって体重が軽いから、動きが速い。気付いた時には、自分の顔の目の前にリーシェがいる、なんて事が頻繁に起こっている。

 二人の上に広がる空は、梛織の心の内を嘲笑うかのように、ますます雲が消え、清々しく二人に暖かで、平和な光を落としていた。
 自分達の周りには、取り巻きのように人がいるのだが、彼らの喧騒がここに届くことは何故かなく、二人の間には静寂が漂っている。
 丁度真横に並んだ二人の影は、時を止めたかのように、佇んでいる、そう思ったのも一瞬だった。
 リーシェの影がゆらり、と一瞬揺らいだ。その揺らぎと同時に、梛織は思いきり、右足で地面を蹴って、五メートル程後退。
 彼が地面を蹴るのとほぼ同時に、リーシェの、梛織の心臓部分を狙った突きが、彼女の体と共に飛び込んできた。
 一瞬だけ、梛織の洋服と剣が交錯、彼の白の無地のTシャツが、衣類が破れる音と共に、胸の部分に斜めに剣筋が入り、綺麗にその部分が切れた。
「あーあ、折角のシャツが……」
 勿体無い、と言い切る間もなく、リーシェが再び突きを入れてきた。梛織は始めはパイプと剣先を合わせ、彼女の動きと共に、剣の下にパイプを滑らせて受け流す。
 パイプと剣が擦れ合う、なるべくなら聞きたくない音が盛大に鳴った。
 その音に思わず顔をしかめつつ、リーシェの剣の柄の部分にくると同時に、パイプを上に突き上げ、剣を弾き飛ばした。
 リーシェはその力を受け流すかのように、くるりと後ろに跳躍、そのまま後方に着地した。
 先程と同じように、二人の間には十メートル程の距離。
 彼女の強い眼差しを受け、思わず梛織はため息をついた。
「どうしてそんな美人なお姫さんが、こんなに強かったりするんだ……」
 ほぼ梛織の独り言だったのだが、意外なことに、返答があった。
「強くなる事しか、私が、私の国に貢献出来る道がなかったからだ」
 眼差しは強いが、ポツンと聞く人によれば頼りなげにも聞けるその呟きに、梛織は思わず、瞬きをしてしまった。
 一体、それはどういう事なのだろう――。深く考える間もなく、再びリーシェが右足で地を蹴った。
 二人の視線が繋がった、その一瞬後には二人は交錯。
 鋭い音が響き、また、同じように距離が出来る。
 梛織は彼女の方に向き直った。リーシェも同じく、彼の方に向き直る。
 リーシェの右目の近くから、一筋の血が流れていく。
「大分お疲れみたいだな?」
 梛織は内心では、傷を付けてしまった事に動揺しながらも、それを隠すかのようにリーシェに声を掛けた。というか、そろそろ疲れ始めてくれていないと、こちらの面目が立たない。
 リーシェは、剣をだらりと右手に下げたまま、ふと、微笑した。
 そして呟く。
「そういうおまえはどうなんだ?」
「……」
 梛織はそのパイプを持った右手を下に降ろした体勢のまま、不敵に微笑んだ。


 つ、と彼の額、左目の近くから、一筋の血が流れてきた。



 ***** 





 ティモネの視界には、青い空しか入る事がなかった。何故なら、彼女は大きく跳躍し、しなやかに背中を反らせて竜の頭上を跳んでいたからだ。
 重力に逆らえず、体が落ちていく所で、足を思い切り前に振り出し、優雅に一回転。
 視界に竜の背中が見えたところで、両手で鎌の柄を前に突き出し、竜の背中に突き刺すように振り下ろす。
 今回は鎌の刃を使うわけにはいかない。あの二人が、何か解毒法を探して戻ってくるまで、無駄に傷を付ける訳にはいかない。
 こうして今は危害を加えてくるが、決して普段はそうではないのだから。
 かなりの圧力を込めたつもりであったが、相手は竜、どうやらほとんどの部分が固い鱗で出来ているようだ。すさまじい火花と鋭い音と共に、彼女の攻撃は阻まれた。
「それはそうか……。何せ、竜の鱗から削りだされた剣、なんて物もあるのですからね」
 ティモネは悔しさ半分、納得半分の表情でぽつりと呟きながら、静かに地面に右足、左足を付けていった。
 背中に何だか攻撃を貰ったらしいと気が付いた竜と、ティモネはほぼ同時に向き合った。竜の足音によって、地面が少し揺れ、砂埃が舞い上がる。
 竜とティモネの間にも、静かな空気がぴんと張り詰めている。

 一瞬だけ、全ての物音が消えたように思えた。

 ゆらり、と竜の左前足が横に持ち上がった。そのままあの巨大さには似つかわしくない素早さで、ティモネに襲い掛かる。ティモネはまっすぐに鎌を構えた。
 
 ――ギリギリギリギリッ!

 凄まじいほどの圧力と衝撃音と共に、ティモネの鎌と竜の前足とが交差した。そのまま、しばらく時が過ぎる。
 ただでさえ重い鎌を持っているティモネの細い腕に、さらに巨大な竜の足の重量が掛かっていて、かなりの圧力と重量が彼女の腕には掛かっていた。さすがに、ティモネもこれを重くない、とは言えない。
 しかし。
 ふふ、と彼女は微笑した。それは、どこか愉快そうに。
「この相手が人であったのなら、もっと楽しい時間になってたのでしょうかねえ」
 ティモネは再び愉快そうに呟いた。が、一瞬後には、その表情に一筋の、哀しさが混ざる。
 それは、彼女の人に対する心の内が、とても複雑なものであるから。
 憎んで憎んで、恨んで。でも、その憎しみと同じくらい愛している。
 愛と、憎悪は表裏一体のものだ。愛と憎悪は、同じ顔。
 いっその事、人を憎み切る事が出来たなら、どんなにか楽であったろう。
 だが、それが出来ないから、ティモネは彼女らしくいられるのかも、しれない。
 
 彼女は気を引き締め直すと、一瞬で地に伏せると同時に、鎌を右に受け流した。
 ごう、という風が間近で響き、彼女の頭につけている、赤い細工物の髪飾りが激しく揺れた。
 前足が通り過ぎ、ティモネは再び軽やかに地を蹴った。隙だらけになった懐に飛び込む。そのまま、竜の喉の白くなっている部分を目指して、鎌の柄を突き出した。
 
 ギャオオッ!

 竜の咆哮がその巨大な口から発せられ、間近でそれを聞くことになったティモネは思わず顔をしかめた。竜は動揺し、そのまま後ろに後退。ティモネも、竜の胸の辺りを蹴って、後退した。
 二人の間に、距離が出来る。
 弱点を知ったティモネは、再びその場所を目指そうとした。だが、先程まではなかった熱気を感じ、さらに後退する。
 ティモネが後退した一瞬後に、その場に放射状に真っ赤な炎が広がった。危険を感じた竜が、その口からブレスを吐き出したのだ。ティモネの黒の髪が一筋、その炎にさらわれて。
 じゅ、という音と共に、髪の毛が一瞬にして溶けた。
「まぁ……」
 彼女はその攻撃に、楽しそうだがどこか冷たさを帯びた笑みを浮かべた。

 ティモネはそのまま、たんっと軽やかに地を蹴った。




 *****





 バロアとホーディスは、罠に十分警戒しつつ、目的の棚まで進んでいた。
 どうやら罠は全て足踏みのスイッチ作動式であるらしいので、バロアは今のところの全精力を足元に注いでいた。
 この部屋は自然光が届かないので、壁にある光とホーディスの掌の中の光だけが頼りだが、よく目を凝らすと、黒い石造りの床が見えてくるので、バロアは先程から目を凝らして進んでいる。
 どうやらスイッチのような部分には、うっすらと紫色で魔方陣のようなものが書き込まれているようである。
「それにしても、こんなにも魔方陣が書き込まれているなんて、ある意味で恐ろしいね。呪とか絡んだりしないの?」
 この部屋に入ってから気になっていた事をバロアは口にしてみた。
 魔導には、人それぞれの解釈があり、一概に皆同じ論理であるとはいえないのだが、こうあちこちに魔方陣が置いてあると、魔導の「場」とも言うべきものが干渉しあって、別の魔導を生み出すなどの脅威になることがあるから、普通、当たり前のように魔方陣をあちこち床に置いたりはしないはずである。
「うーん、私も何でだかはよく分からないのですが、とりあえず、呪が絡んだりする事はないのですよ。おそらく、こういった魔導含めて、この家の魔導まるごと、代々私のような能力を持つ者ひとりの管理下に置かれるからかもしれないです」
「……て事は、この魔導、キミが作動出来る事になるの?」
 ホーディスはうーん、と首を傾げた。
「そうではないみたいですね。私の魔導の能力を使って作動してはいるみたいなんですけど、どうもこれらの罠は私の手では自由には動かせないみたいなんです」
「……という事は、つまり、もうすでに魔導が発動していると言う事?」
「そうみたいです」
 どうやらホーディスが用いる魔導は、一度発動したらその魔導が完了するまで、その魔導を途中で強制終了したりする事は出来ない類の魔導のようだ。おそらく、強制終了したりすると、その反動が術者に返って来るのだろう。
 そして、前を歩くホーディスの魔導の能力を少し恐ろしくも感じた。軽く背筋が冷やりとするのを感じる。
 先程の話が本当ならば、彼は、この館の全ての魔道を操っている事になる。それでいて、彼は戦闘用にも別に魔導を発揮できるのだ。まるで、底なしの能力ではないのだろうか。


「あ……、ここですね」
 ホーディスが立ち止まった先には、主に毒薬の部類でも、幻覚剤の類の部類の本が並んでいるようだった。本棚には沢山の古めかしい分厚い本が並んでいるのが薄暗い中からも見て取れた。
「幻覚剤だけでも、こんなにあるんだ……」
 どれだけ危ない書庫だ、とバロアはいささかげんなりとしながら言った。この中から本を探し出すだけで、一体どれくらいの時間が費やされるのか。
 ホーディスは、家柄ですから、と苦笑しながら彼のズボンのポケットから一つのプラスチック製の試験管のようなものを取り出してきた。
「とりあえず、ファーマさんから分けて頂いた飲み物の一部がここにありますから、これを参照しながら探すだけでも、随分と手間が省けると思いますよ」
「そうだね……」
 仕方なく、バロアは肩をすくめて、適当な書物を手に取った。
 とりあえず、目指すは、ほんの一滴で強力な幻覚を見せる幻覚剤の記述だ。
 

 それからしばらく二人は本を本棚から取り出したり、本の記述を読みつつ、飲み物と照らし合わせてみたりしていたが、やはり作業は思ったよりもはかどらなかった。二人の努力の結果だけが、床に空しく積み上げられていく。
「これも駄目か、と……」
 バロアはたった今まで目次を読んでいた本をぱたりと閉じ、積み上がった本の上に置こうとしたが、手が滑って、その本を床に落としてしまった。

 かちり。

「うぎゃーっ!」
 何だか凄まじい叫び声が、本棚から落ちてきた本の数々の音で消し去られた。バロアの上に、どんどんと本が落ちていき、すっかり彼は本に埋もれてしまった。
「バ、バ、バロアさんっ!」
 ホーディスは急に隣で起こった大(?)惨事に慌てふためき始めた。そして。

 かちり。

「え? え? え――?」
 数秒後、彼ら二人がいた場所は、すっかり本の海と化していた。

 先にバロアが、それからホーディスが本の山をかき分け、頭をひょっこりと出した。
「い、痛い……。本の角が思い切りきたよ、これ……」
 大の男二人、情けないことに涙ぐんでいる。余程痛かったのであろう。
「私としたことが……」
 ホーディスがかなり落ち込みながら完全に体を出した時、バロアの興奮した声が彼の耳に届いた。
「これ、そうじゃない?」
 バロアは体のほとんどを本の海にうずめながら、一冊の薄い本を手に、顔をやや興奮で赤くさせていた。




 *****





 ファーマはやや緊張を滲ませた、真剣な面持ちでスポイトから試験管に一滴、薬を垂らした。
 スポイトからの薬と元の飲み物とが交じり合う所から、今度は覚めるような鮮やかさの青色に変わっていった。
「なるほど。つまり、これとこれを調合すれば良いのですわね……」
 飲み物の分析から、大体の薬の見当を付けた彼女は、鞄の中から、さらに何かの植物の根を干したようなひからびた茶色の物体を取り出した。
 それをおろし金のようなものでごりごりとすりおろし、小鉢にすりつぶしたものを入れて、さらに細かくする。
 フラスコの中に、テーブルの上に並べておいた、試験管立てに並べられている試験管の中から、紫色の液体が入った試験管を取り出し、フラスコに入れる。
 そして、先程のすりつぶしたものを追っていれ、フラスコを右手でからからと振った。どうやら薬が反応したらしく、血のような赤色に変わっていく。
 さらに、今度は黄色の液体が入った試験管にスポイトを突っ込んでその液体を吸い取り、フラスコの中に一滴、垂らした。

 ボンッ!

 フラスコの中で小爆発が起き、辺りに焦げ臭い匂いが漂った。フラスコの入り口から、白い煙が漂う。
「これで完成ですわね」
 ファーマはその様子を見ながら笑みを浮かべていた。
 本当にそれが完成品であるのかはどうかとして、とりあえず、ファーマは、その完成品らしき薬を空いている試験管に移した。
「……遅いですわね、薬が出来たと、呼びに行った方がよろしいのかしら?」
 そう言って、試験管を手に、奥の扉を開け、階段を降り始める。
「あら、ちょっと暗いですわね……」
 その階段室の薄暗さに少々怯みながらも、ファーマは軽やかに、階段を降りていた。
「あれ? ファーマさん? 何かありましたか?」
 下から小さな光がふわふわ漂って近付いてくる、そう思ったら、その光の正体はホーディスとバロアであった。ファーマの表情がパッと輝く。
「あの飲み物の成分を分析して、薬を――」
 ファーマがそこまで言いかけた時、薄暗くて気が付かなかったのであろう、足元を躓かせ、階段から転がり落ちそうになった。
「危ないっ!」
 先頭にいたホーディスが、落ちそうになる彼女を慌てて受け止め、とりあえずは事無きを得た。 しかし。ファーマの手にあった試験管は宙を舞い、薬を後ろにいたバロアに撒き散らした。

 ごっくん。

 ファーマが転びそうになった驚きで口を開けていたバロアの口の中に、その薬が入り込む。
 思わず、バロアはその薬を飲み込んでしまった。
「……あ、飲んじゃった……」
「……」
「……、何か変わった事は、ありますかしら?」
「……とりあえずは大丈夫? あ、でも何か頭の上部が熱いかも……?」
「とりあえず、明るいところに出ましょう」
 ホーディスがそう言い、三人は元の場所に戻った。ホーディスとファーマがバロアを凝視する。
 バロアも何か違和感を感じていた。頭の上の方がなにかむず痒いのである。
 彼はそこに右手を当てて、そして気付いた。
「……ほ、本物の、ネコミミ?」
「何でだ……」
 バロアのネコミミフードの下には、何故か本物のネコミミが生えてきていた。ちなみにふわふわの毛も生えていて、触り心地は抜群である。
 違和感が全くないから余計に不思議だ。むしろ、妙に似合っていて、女性が見たら「可愛い」と声を上げて寄ってきそうな勢いである。
「――失敗ですわね」
 ファーマが腰に手を当てて、厳かにひとつ決断を下した。
 彼女の未実験の薬は、いつもとんでもない効果が出るので、彼女はそれ程驚いていない様子である。失敗にもめげずに、再び机に戻り、試験管を取り出してきた。
「……それよりも、これ、元に戻るの?」
 バロアの至極最もな疑問に、ファーマは試験管を持っていた手を思わず止めた。
 ゆっくりと彼らの方を振り向き、そのまま、恐る恐る呟く。
「……最悪、一ヶ月もすれば戻りますわ……」
「……」

 再び、その場にバロアの叫びが響いた。
 全く持って、彼は今日は運がないようだ。




 *****





 先程から、梛織とリーシェは向き合ったまま、その場に佇んでいた。
 不意に今まで、息を潜めていたかのように風が吹きすさび、二人の髪を弄んでいる。
 さらさら、とリーシェの長髪が風にたなびいていた。凛とした顔立ち。意思の強い、瞳。
 これが戦いの最中としてリーシェと向き合っていなければ、思わず見惚れてしまうような光景である。
 梛織の髪もさらり、とたなびいた。ふと、厳しいその表情をゆるめる。
 険しくなっていた目元が緩み、瞳は穏やかな銀の光を放っている。
 ほんの束の間、安息の時間が訪れたように感じた。


 だが、いきなり、リーシェはスッと腰に右手をやると、そのまま勢いをつけて振りかぶった。
 反射的に梛織は顔を右にずらす。
 その横をシュッという風を切る音と共に、飛び道具として使う専門の極細の短剣が過ぎていった。
 その僅か一瞬、気を緩めた隙に、リーシェは間を詰めてきていた。
 鋭い、金属音。何とか最後の最後で梛織はリーシェの剣を受け止める。
「く……」
 梛織は一瞬のためらいの後、後ろに跳躍、後退した。
 距離のあいた二人の間を先程の葉がひらひらと飛んでゆく。
 その時、梛織の手にしていたパイプから、ぴしり、という音が伝わってきた。
 そして、不意に手にかかる重量が重くなった――、そう感じた時には、パイプは真ん中から亀裂が奔り、その場所から下半分、地面に落下していた。
「あーあ……」
 梛織はひとつ呟くと、残りの手にしていたパイプも地面に落とした。カランと空洞のある金属特有の乾いた音が響いた。
 その音が終わるか終わらないかの内に、リーシェの右足が動いた。それを見るか見ないかの内に、梛織は右足で地を蹴って跳躍、一瞬後に間を詰めてきたリーシェの上、そしてひとつ、くるりと回転して、背後に降り立った。
 そのまま振り向こうとするリーシェの首あたりに手刀を入れる。
「くそ……」
 悪態をつき、崩れ落ちていく彼女の体を両手でしっかりと受け止め、梛織は申し訳なさそうに眉を潜めた。
「ごめんな……、ちょっとの間、寝ててくれ……」
 ぽつりと梛織は呟いた。



 ******




 どうやら、先程の喉への攻撃によって、竜も手加減なしの攻めになったらしく、やたら巨体の動きが素早くなってきた。背にある小さな翼を上手く使い、自身の動きを速くしている。
「……中々手強くなってきましたね……」
 その言葉と共に、ティモネは地を蹴った。その瞬間に、その場に炎が上がる。
 竜の、腹の白いところに鎌を打ち込もうとするが、翼を使って、前の数倍の速さで竜が後退した。
 同時に、左前足が襲い掛かってくる。
「く……」
 再び右前足と、鎌が交差した。左に弾き飛ばし、一時後退する。
 その場に、再度炎が上がった。その灼熱に、その場の温度が一気に上がり、ティモネの額から幾つかの汗の玉が吹き出てくる。


「すごいね、この竜。ブレスもしっかり吐くんだね」
 その言葉に後ろを振り向くと、ホーディスとファーマ、さらに何故か本物のネコミミ付きのバロアがこの場所に戻ってきていた。
「そうなんですよ。中々それが厄介で」
 ティモネは油断なく鎌を構えながら、少し悔しそうに言った。
 確かに、竜のこのブレスに触れた途端に、跡形もなく、たちまち溶かされてしまうことだろう。 竜の炎は、浄化の炎でもあるのだから。
「よし、僕も手伝うよ……、今回は反動、どのくらいかな……」
 前半はティモネに、後半は自身に向かって言い、バロアは一歩前に進み出た。
 後半の言葉を聞いてか、ホーディスも一歩、前に出る。
「私もお手伝いします。その魔導の反動分の能力を私の体に流して下さい」
 そう言って、にっこりと笑った。彼の額にある、刺青の一部が青く、黒く光りだす。
「よし」
 バロアは頷いて、すっと両手で印を結んだ。その手の指先はぼうっと黒く光り、手の甲には黒い闇の六亡星が浮かび上がってくる。
 そして、高々に、謡うように詠唱を始めた。
「ラル・デ・ディス・フィルシェ、闇の精霊王の名において、闇の邪なる六亡星、重ねて記せ、封印せしめよ魔方陣!」
 詠唱の途中で体を満たした闇の魔導の能力が、溢れ出しそうになって体を蝕むその時に、すっと体を撫でるような感触と共に、能力がホーディスの体に流れていくのが分かった。
 ホーディスは同じように印を結び、途中から詠唱に混ざる。
 二つの声が、朗々と響き渡った。それはまるでひとつの歌のように。

 空がやがてやや暗くなり、そこから禍々しい色をした六亡星がひとつ、そしてその上にもうひとつ、竜の大きさにあわせて大きく広がりながら、竜の頭上に広がり落ち、完全に竜の動きを封印させた。
 竜が悶え苦しみ、凄まじい叫び声を上げるのが分かる。
「後は、私にお任せ下さい」
 ティモネは二人に微笑み、地を蹴った。女性ならではの水の上を滑るかのような動き。

 そして、喉元に、鎌の柄を遠慮なく突きたてた。
 竜がまるで断末魔のような叫びを上げ、ティモネが地に着地すると同時にその体をゆっくり、ゆっくりと後ろに倒していく。
 バロアはそれを見て、印を解いた。魔導を終了させる。
 魔法陣が途端に水が流れるが如く、消え去っていった。
 竜は倒れると共にその体を小さくしていき、最後にはバッキーと同じくらいの大きさになって、その場に転がった。
「あら、実は案外可愛かったりするんですね」
「まあ、あの姿は戦闘時だけですからね。力がなくなると、小さくなるみたいですよ」
 ティモネの驚きに、ホーディスが苦笑して答えた。
「さて、ではこの薬を飲ませてさしあげなければね」
 ファーマがいそいそと青い液体の入った試験管を取り出し、竜に向かって行った。
 ちなみに、今度の薬は、バロアとホーディスが見つけた本も参考に調合したものである。今度は間違いはないと思われる。というかそうであって欲しい。
「そっちも終わったみたいだな」
 その声と共に、梛織がこちらに向かって歩いてきた。腕にはリーシェを抱えている。
「そちらもですね」
 ティモネの言葉に笑みを浮かべ、梛織は竜の隣にそっとリーシェの体を横たえた。
「本当にすみません、ありがとうございます」
 ホーディスは深く、頭を下げた。
「良かった……」
 そしてひとつ、リーシェの顔を見ながら安堵のため息をついた。




 *****





 やがて、薬の効果がきちんと効いたらしく、まず始めに竜が、そしてリーシェが目を覚ました。「ここは……、あれ? 私は今まで一体何を……」
 どうやら薬が効いて暴れていた間の事は何一つ覚えていないらしい。梛織が今までの苦労を忘れられてしまった事にため息をついたのに対して、思わずティモネが苦笑した。
「貴方は幻覚剤の類を飲んで、暴れていたんですよ?」
「そうですよリーシェ、ちゃんとこの方たちに謝って、そしてお礼を言わなければ」
 ホーディスが起き上がったリーシェの目線に合うようにしゃがみ込んで、どこか諭すような響きでリーシェに声を掛けた。
 リーシェはホーディスの顔を見、辺りを見回して、色々な公共物が破壊されているのを目にした。 そして、いきなりホーディスの胸倉をつかんだ。

「ホーディス! お前はどうしてこんなに物を破壊して、おまけに人様にまで迷惑を掛けているんだ!」
 
 リーシェを見つけて彼女の肩に乗っかった竜も彼女に同調して、抗議の声を上げた。(つまり鳴いた)
「……」
「……あらまあ」
「……実は馬鹿なのか……?」
「……、勘違い、してる?」
 その様子を後ろから見守っていた四人は様々な表情を浮かべた。驚きの表情のファーマ、あらあらと諦めの表情のティモネ、がっくりと肩を落としている梛織、少し小馬鹿にした表情のバロア。
 不意に、ホーディスが一歩、リーシェから下がった。その瞬間に、僅かではあるがその場の空気が変わっていくのを四人は感じた。いつもとは違う、違和感。
 まるで何かにこの場を支配されているような。
「……?」
 ホーディスは極上の極黒の笑みをリーシェに向ける。その額の刺青の一部が、金に、白に輝いていた。
「我らを守護する偉大なる光の神々よ、我に聖なる力を与えたまえ」
「ホ、ホーディス?」
 リーシェはいきなり目の前で詠唱を始めたホーディスにたじろいで、その場から一歩、また一歩後ずさった。
 ホーディスは人差し指を立て、空に向ける。途端に、その周りに、雲が凝っていった。
 広場に暴風が吹き荒れた。
「光よ、制裁を与えたまえ」
 ホーディスが厳かに唱えた瞬間。
 リーシェの頭上に、ひとつの巨大な雷が落ちた。

「……そうだよな、さすがに怒るよな、あんな温和な人でも」
「そうですわね」
「……僕、あの人だけは怒らせないようにするよ」
「それが賢明というものですね」
 四人はこんな片割れを持ってしまっているホーディスに対して、哀れみと同情の視線を送った。


「リーシェ! あなたって人はあぁぁ!」
 その場に、彼の怒声が響き渡る。



 ちなみに、後日来た請求書に、ホーディスがよろめいて、その場で気を失った所を早速寝泊りしていたバロアが目撃したとかしないとか。

 今日も銀幕市は、騒がしい。



 

クリエイターコメントラストニア王国王女奪還計画!? 無事お送りさせて頂きます。ご参加ありがとうございました。
何だか非常に長くなってしまって申し訳ないです。私にはどうやら短文を書くのは難しい課題の様子です。
今回、全てのプレイングを採用できなく、非常に心苦しく思っております。四人全員、美味しい見せ場を作ったつもりでしたが……、いかがでしたでしょうか?
苦情、感想ひっそりとお受けいたします。お気軽にどうぞ〜。

それでは、またシナリオでお会い出来たら嬉しいです。
公開日時2007-06-20(水) 19:40
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